仙台高等裁判所 平成3年(ネ)261号 判決 1992年9月30日
控訴人
中村商事株式会社
右代表者代表取締役
中村行博
右訴訟代理人弁護士
石橋忠雄
同
祐川信康
被控訴人
株式会社秋田銀行
右代表者代表取締役
堀川孝夫
右訴訟代理人弁護士
加賀谷殷
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人に対し、金四一〇万円及びこれに対する平成二年六月二八日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
4 仮執行の宣言
二 被控訴人
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 控訴人の請求原因
1 控訴人は、酒類の卸し並びに小売、販売を目的とする株式会社であり、被控訴人は銀行である。
2 控訴人は、被控訴人に対し、平成二年六月二七日までに、金六〇〇万円を返済期日を定めずに普通預金(口座番号二一七八)として預託した。
3 控訴人は、平成二年六月二七日、被控訴人に対し、本件預金六〇〇万円の返還を請求した。
4 よって、控訴人は被控訴人に対し消費寄託契約に基づき金六〇〇万円のうち支払を受けた金員を差引いた金四一〇万円及びこれに対する平成二年六月二八日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1ないし3の各事実は認める。
三 被控訴人の抗弁
1 被控訴人は、平成二年四月九日、控訴人に対し、金四一〇万円を弁済期日を同年七月五日と定めて手形貸付の方法により貸付けた。
2 ところが、控訴人は、同年六月二六日、「債権者集会開催のお知らせ」と題する弁護士名義の書面(<書証番号略>以下「本件書面」という。)を被控訴人八戸支店に持参し、もって、控訴人の負担していた債務の減免を求めるための債権者集会の開催を知らせてきた。
被控訴人は、次のような理由から、控訴人と被控訴人間の銀行取引約定書(<書証番号略>)五条一項一号の「支払停止」に該当すると判断し、同月二八日、控訴人に対し、1項の貸付金債権につき当然に期限の利益を喪失した旨を通知した。
(一) 本件書面には、「控訴人の事業継続並びに負債の整理のためには、誠に遺憾ながら債権者の皆様のご協力を仰がなければならない事態となっているため、債権者集会を開催する」旨が記載されていた。
(二) 一般に、債務者が、事業を継続又は再建を目的とするのであれば、事前に銀行に対し相談や協力を求めるのが通常であるところ、控訴人は、弁護士名義による一方的通知をしてきたものであり(弁護士による一方的通知は、経験則上、債務者の営業継続断念の場合が普通である。)、また、本件書面を持参した控訴人の当時の専務取締役中村行博は、被控訴人に対し何らの説明もせず帰ろうとした。
(三) 控訴人会社の代表者や専務取締役の話の中に控訴人が支払不能の状態に陥っていると推測される発言があった。
(四) 本件書面を入手後、被控訴人が控訴人の経営内容について調査したところ、支払停止の事態に立ち至ったものと推測される情報を得た。
3 仮に、支払停止の事実が認められないとしても、
控訴人のなした右債権者集会開催の通知などの事情は、前記の銀行取引約定書五条二項五号にいう「債権保全を必要とする相当の事由が生じたとき」に該当する。
そこで、被控訴人は控訴人に対し、同月二八日前項記載の期限の利益喪失の通知(<書証番号略>)をなし、右通知は期限の利益喪失のための請求とみなされるべきであり、相当期間経過後である同年七月初め、控訴人は期限の利益を喪失した。
4 仮に、右事実が認められないとしても、
本件貸付金については、平成二年七月五日、弁済期日が到来した。
5 そこで、被控訴人は、同年七月九日ころ到達の内容証明郵便をもって、控訴人に対し、被控訴人が有する本件貸付金債権金四一〇万円をもって、控訴人の本件預金債権と対当額で相殺する旨の意思表示をなした。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実は否認する。
控訴人は、平成二年四月九日金四一〇万円の交付を受けたことはない。
2 同2のうち、控訴人が平成二年六月二六日本件書面を被控訴人八戸支店に持参したこと、控訴人と被控訴人間の銀行取引約定書五条一項一号には債務者が当然に期限の利益を喪失する場合として「支払停止」があること、被控訴人は同月二八日控訴人に対し、貸付金債権について当然に期限の利益を喪失した旨の通知をしたことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。
3 同3のうち、被控訴人が同月二八日控訴人に対し期限の利益喪失の通知をしたことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。
4 同4の事実は否認する。
5 同5の事実は認める。
五 控訴人の再抗弁
控訴人は、かつては、八戸はもとより東北でもトップクラスの売上を誇り、当主であった中村専太郎は八戸市議会議員、商工会議所議員をつとめ、酒類販売業界の老舗であった。控訴人と被控訴人との取引は約二〇年にも及び、被控訴人は、二〇年間の取引をとおして会社の経営や資産内容等をよく知っていたのであり、控訴人も右取引により被控訴人の利益に貢献こそすれ、損失や迷惑をかけたこともなかった。酒類販売業界は免許の自由化と大型店の出現によって構造的不況業種となり、控訴人も、経営不振が続き、ノヴァ桃川株式会社からの出向者が経営の実権を握っていたこともあった。その後、控訴人代理人が委任され、出向者との委任契約を破棄して新しい経営改善の方策を模索しているところであった。本件の債権者集会は、債権者に控訴人の資産、経営状態等を説明し、併せて債権者に平等の立場で討議してもらうことが急務と考えて開催されたもので、破産や整理など事業継続断念を目的として行われたものではなかった。事実、控訴人は事業を継続し、被控訴人以外の債権者とは、従来どおり取引をしている。
右のような事情の下で、被控訴人の相殺は、その利益に偏し、中小企業の経営を圧迫するものであるから、信義則に違反し無効である。
六 再抗弁に対する認否
否認ないし争う。
第三 証拠関係<省略>
理由
一請求原因について
請求原因1ないし3の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
二抗弁について
1 被控訴人から控訴人に対する貸付けの有無について検討するに、<書証番号略>及び原審証人三沢忠道の証言によれば、被控訴人は、平成二年四月九日控訴人に対し、金四一〇万円を弁済期日を同年七月五日と定めて手形貸付けの方法により貸付けたことを認めることができる。
控訴人は、平成元年五月三〇日金五〇〇万円を借入れ、その後に約定により、三か月に一度元本金三〇万円の内入と約定利息を支払ってきたことはあるものの、平成二年四月九日金四一〇万円の交付を受けたこともない旨主張する。
しかし、前掲各証拠によれば、控訴人と被控訴人とは平成元年五月三〇日銀行取引契約を締結するとともに、同日、被控訴人は控訴人に対し金五〇〇万円を弁済期日を同年一〇月三日と定めて手形貸付けの方法により貸付けたこと、次いで、控訴人が右借入金返済の一部として金三〇万円を用意し、同年一〇月三日、被控訴人は控訴人に対し金四七〇万円を弁済期日を平成二年一月五日と定めて手形貸付けの方法により貸付け、控訴人は右の金四七〇万円と用意した自己資金三〇万円とを併せて、前記の金五〇〇万円の借入金を返済したこと、同様に、平成二年一月五日、被控訴人は控訴人に対し金四四〇万円を弁済期日を同年四月五日と定めて手形貸付けの方法により貸付け、控訴人は右の金四四〇万円と自己資金三〇万円とを併せて、前記の金四七〇万円の借入金を返済したこと、そして、本件貸付けとして、同年四月九日、被控訴人は控訴人に対し金四一〇万円を弁済期日を同年七月五日と定めて手形貸付けの方法により貸付け、控訴人は右の金四一〇万円と自己資金三〇万円とを併せて、前記の金四四〇万円の借入金を返済したこと、各貸付けに際しては、各貸付けの担保として、控訴人は各弁済期日を満期とする各約束手形を被控訴人に対し振出交付していること、また、各貸付けに相応する計算書等(<書証番号略>)が被控訴人から控訴人に交付されていること、控訴人名義の普通預金通帳(<書証番号略>)には、右の各貸付金から利息、印紙代等を控除した金額が「ご融資金」との名目で振込まれていることが認められる。
右の事実によれば、被控訴人が平成二年四月九日控訴人に対し金四一〇万円を貸付けたことは明らかであり、控訴人の主張は理由がない。
2 期限の利益喪失について
<書証番号略>(銀行取引約定書)によれば、控訴人と被控訴人との間において、控訴人に「支払停止があったとき」は控訴人の負担する債務につき当然に期限の利益を喪失し(五条一項一号)、また、控訴人に「債権保全を必要とする相当の事由が生じたとき」は、被控訴人の請求により右債務につき期限の利益を喪失する(五条二項五号)旨の規定が存在することが認められる。
本件において、右の「支払停止」該当の有無についての検討はさておき、銀行取引約定書五条二項五号の「債権保全を必要とする相当の事由が生じたとき」といえるか否かについて検討する。
<書証番号略>、原審証人三沢忠道及び同中村行博の各証言、当審における控訴人代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 控訴人は、かつては八戸市においても多くの売上高を誇り、酒類販売業の老舗であっが、酒類販売業の構造的不況により、控訴人も、経営不振に陥り、経営の立て直しのため、一時は青森県の大手酒造会社であるノヴァ桃川から出向者を迎え、経営の指導を受けていたこともあった。
しかし、依然として経営実績が伸びないため、平成二年五月ころ、弁護士である控訴人代理人が委任され、同弁護士は、ノヴァ桃川との出向契約を打切り、債権者から債務の繰り延べを受けるなどの方法により、経営の再建を図ろうとした。
(二) そこで、控訴人は、事業継続と負債の整理のため債権者集会を開くこととし、弁護士名義の「債権者集会開催のお知らせ」と題する本件書面を作成し、大口の債権者に対し債権者集会の通知をした。
被控訴人に対しては、同年六月二六日、控訴人の当時の専務取締役中村行博が被控訴人八戸支店に本件書面を持参した(控訴人が同日本件書面を被控訴人八戸支店に持参したことは、当事者間に争いがない。)。
(三) 本件書面には、弁護士名義で「控訴人会社は、ここ数年営業不振に陥り、ノヴァ桃川の指導を仰ぎながら、経営陣、従業員一丸となって懸命に努力して参りました。しかしながら、現在に至り、控訴人会社の事業継続並びに負債の整理のためには、誠に遺憾ながら債権者の皆様のご協力を仰がなければならない事態となっております。つきましては、急なことで甚だ恐縮でありますが、下記のとおり債権者集会を開催致します。」旨の文言があり、同月三〇日午後五時、控訴人会社において債権者集会を開催する旨の記載がなされていた。
(四) 控訴人は、本件書面を持参する以前に、被控訴人に対し、控訴人会社が弁護士指導による新しい経営になったこと、あるいは新たに事業継続又は再建をめざすことにつき、事前に相談や協力を求めることを一切することなく、被控訴人にとっては、本件書面は突然の通知であった。
しかも、控訴人が指定した債権者集会の期日は、四日後の同月三〇日であり、差し迫ったものであった。
(五) 控訴人の専務取締役中村行博は、本件書面を被控訴人八戸支店の融資担当行員三沢忠道に手渡した後、何らの説明もせず帰ろうとした。
右三沢は、本件書面の内容を見て驚き、帰ろうとした右中村を引留めて問い質したところ、右中村は、「ノヴァ桃川からの出向者を引き揚げさせ、以後、弁護士の指導を受けている。債権者集会では、金融機関に対して債務の棚上げや利息の減免をお願いするようだ。」と述べ、債務の支払が困難になったかのような表現あるいは弁護士にすべてを一任して自分は関知していないかのような表現をし、これが右三沢の不審を大きくした。
(六) 右三沢は、控訴人が弁護士に広範に経営を任せなければやっていけない状態に立ち至ったものと考え、早速、支店長と対策を協議した。
被控訴人は、突然に本件文書を持参したことの意味及び本件文書の内容を検討し、さらに、同月二七日には控訴人が当時負担していた債務等を独自に調査した結果、本件貸付金債権については回収不能の状況にあるとの判断に達した。
ちなみに、当時、控訴人は、金融機関に対して約一億一二〇〇万円、仕入先等に対して約八九〇〇万円など、多額の債務を負担していた。
(七) そこで、被控訴人は、翌六月二八日控訴人に対し、内容証明郵便にて、本件貸付金債権について、債権者集会の通知書を受領したことを理由に、当然に期限の利益を喪失した旨の通知(<書証番号略>)を出した(右事実は争いがない。)。
(八) 債権者集会は、銀行一社、仕入先等四社が参加して、予定どおり開かれた。右債権者集会では、控訴人代理人から再建計画書が示され、また、債務繰延べの提案もなされたが、右提案は認められなかった。
なお、控訴人は、現在まで、手形不渡りや銀行取引停止処分を受けたことはなく、従来の仕入先とは取引を継続している。
以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右の事実によれば、殊に、本件書面の内容は、控訴人に事態の急転があり、事業の継続等のためには債権者の協力が必要な事態に立ち至ったことを推測させるものであり、しかも開催日時が四日後という切迫したものであったこと、控訴人は被控訴人に対し事前に何らの相談等もしていないこと、専務取締役の発言や態度、控訴人の当時の負債総額等の事情に徴すると、本件において、控訴人のなした債権者集会の通知及びその前後の状況は、控訴人と被控訴人間の銀行取引約定書五条二項五号にいう「債権保全を必要とする相当な事由が生じたとき」に該当するものというべきである。
3 前記認定のとおり、被控訴人は同月二八日控訴人に対し当然に期限の利益喪失した旨の通知(<書証番号略>)をなしており、右通知は請求による期限の利益喪失のための請求とみなすことができるから、右通知後相当期間が経過した同年七月初めには、控訴人は本件貸付金につき期限の利益を喪失したものというべきである。
4 被控訴人が、同年七月九日ころ到達の内容証明郵便をもって、控訴人に対し被控訴人が有する本件貸付金債権金四一〇万円をもって、控訴人の本件預金債権と対当額で相殺する旨の意思表示をなしたことは、当事者間で争いがない。
したがって、控訴人が返還請求する本件預金債権金四一〇万円は、相殺適状となった同年七月初めをもって、相殺により消滅したものといわなければならず、被控訴人の抗弁は理由がある。
三再抗弁について
控訴人は、被控訴人のした本件相殺は、その利益に偏し、中小企業の経営を圧迫するものであるから、信義則に違反し無効である旨主張し、その事情を述べる。
しかしながら、控訴人の述べる事情が仮に認められるとしても、前記認定の諸事実に照らすと、本件において、被控訴人のした相殺が被控訴人の利益に偏するなどして信義則に違反するものといえないことは明らかであり、他に、控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。
したがって、控訴人の再抗弁は理由がない。
四よって、控訴人の本訴請求は理由がなく、これを失当として棄却した原判決は結局相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官豊島利夫 裁判官永田誠一 裁判官菅原崇)